011_Down to earth

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Perspective / 視点

Down to earth/地に足をつけて

暮らしの拠点を変える、と聞くと、あなたは真っ先に何を思うだろう?

引っ越しが大変そうとか、諸々の行政手続、事務手続きが面倒だなとか、家族や友人と離れるのが寂しいとか不安であるとか、どちらかといえば、ネガティブな感情だろうか。それとも、心機一転、ワクワクするとか、冒険心が沸き起こるとか、はたまた現在のトラブルから脱出するラッキーな口実になるとか、どちらかといえばまだ見ぬ新生活とその風景や、何かしらのリセットに期待するポジティブな感情だろうか?

どちらもある、というのが多くの人の正直な気持ちではないかと思う。2023年の2月の終わりに辞令をもらった僕は、ひと月ほどでだいたい上のような考えられるあらゆる感情の波を経験し、4月に新しい赴任先でひとり暮らしを始めた。(そのせいで、このUNDESIGNEDも少し更新がいつも以上に時間がかかったことをここにお詫びします)

おおよそ半年が過ぎ、四季の半分を新しい拠点で経験した。現在のところ、何事も快適である。あるいは、快適に過ごせるように自分をフィットさせている、という表現の方が正しいかもしれない。当たり前だがそこには、自分の意思ではどうにもできないことがあり、逆に言えば、自分が出来ることはごく僅かである。ただ、それに気づきさえすれば、それに応じた自分のスペース(物理的な空間と、精神的・感情的な空間)を確保すれば良いのだということに気付きつつある。

同じところに長くいると、やはりいろんなものが隙間に溜まる埃のように集まってきていたのかもしれない。強制的なリセットであったにせよ、今となってはそこに多くの恩恵を感じているのは、身軽になっていろんなことを整理したからこそ生まれた「スペース」のおかげなのかも知れない。そしてその感覚は旅にも似ている。

淡々と、地に足をつけてマイペースの生活のベースを築きながら、毎日の仕事をサーフィンのように楽しんでいる。(M.N)

Story / 物語

島暮らし通信 (暮らしの実験) 

広島から高松に引越しすることになった編集長西尾が、その顛末をレポートします。

English version is available separately on Substack

物理学者で随筆家である中谷宇吉郎の「生活の実験」というエッセイの存在を、新建築住宅特集を読んでいたときに、中村好文の作品解説の文章の中に発見した。直感的に面白そうだと思い、すぐに古本屋からそのエッセイが含まれている本を取り寄せた。本自体は昭和15年に出ており、届いたのは昭和20年に出された第10刷りのもので、旧書体がふんだんに使われており少々読みづらかったが、エッセイそのものは予想通り大変面白いものだった。中谷が療養のため過ごした伊東を離れ北海道に戻る際に家を建てる、その建て方を、北海道の厳冬を前提にしながらも、工夫すれば今でいうサステナブルでありながら簡素で凛とした日本風のものが可能ではないかという科学的な仮説に基づき実行した際の顛末を書いたものだ。

作家が自分の暮らす家や空間について記したエッセイや言葉は数あれど、吉田健一のエッセイ「長崎」の有名な一説も印象的だ。「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」書かれたのは昭和57年。2023年の今にまたこの文章の重要性が身に染みる。それと、現代ではやはり稲垣えみ子のインタビュー記事やエッセイが痛快である。彼女ほど極端なシフトは煩悩の多い自分には難しいものの、自分の嗜好というよりは、なるべく環境に負荷をかけずに省エネで暮らせるか、ということを一度試してみるには今回の一人暮らしは好都合だと思ったのである。 そこで、それらの試みを、暮らしの実験、と呼んで記録してみることにした。

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四国高松に部屋を借りる

確かに四国は頭の中では島だということがわかっていても、あまりに大きくてその実感がない、というのが何度も訪れたことがある僕の印象ではあった。毎回息を飲むほど美しい景色を見せてくれる瀬戸大橋を渡っても、渡った先の四国は大きすぎて一度上陸してしまえば大陸に近い感覚があった。そもそも日本自体が島国なのだから、本州だって島である。ただ、瀬戸内に暮らしていると、無数にある小さな島々こそが島であり、それ以外の大きな島は島という感覚はあまりないのではないかと思う。そんな感覚を持って、僕は異動先の高松市に越してきたのだった。

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眺めがいい部屋が好きだ。眺めがいい、というのは実に抽象的であって、窓から見える景色が絶景である、という狭い意味ではなく、むしろ、景色というより見通しが開けているのが大事なポイントで、つまり、すぐ近くによその建物の外壁が見えているとか、そういう部屋はどうしても暮らす環境としては避けたい。たとえ日中が仕事で部屋にいることがないとしても、佇まいというか、空間の清々しさというか、自分の感覚ではそういう感覚に繋がっている。だから、自分の暮らす部屋を借りるときは、そういう眺めがいい、というか、景色に見通しや「抜け」があるところを選んできた。

専門家でなくても、日当たり、風通し、そういう基本的な環境の良し悪しは身体でわかるはずなのだが、現代ではそういう基本的な「良さ」よりも「便利さ」や「手軽さ」が思ったより一般での優先順位が高くなっている様子を見ると、いよいよ社会は大丈夫か、なんて心配になったりもするのである。それは、間取りについても同じである。特に、一人暮らしの部屋となると、つまり、いわゆるワンルームとか、そういう汎用的な「商品名」が付いているものの殆どが、実に残念な間取りであることを、世の中の人はどう考えているのだろうか。

玄関を開けたら、すぐにキッチンがあり、住人あるいはゲストは、そのキッチンの作業スペース兼廊下的な場所を通って、いわゆる部屋にアクセスするようにできている。その空間の反対側の壁にはユニットバスがあり、ドアを開けると、ビジネスホテルのバスルームのような、トイレと洗面とバスタブがコンパクトに納められた樹脂パネルで組み上がった小さな空間が出現することになっている。バスルームは合理的かもしれない。ただ、どうしても違和感があるのは、先に指摘した、キッチンの作業スペースが通路を兼ねている、という間取りのあり得なさと、それが普及している不思議さなのである。

これは、ある意味仕方がないことかもしれない、というのは理解できる。経済が生活を支配し始めると、あらゆる物事が経済性のもとにその構造が再構築されていく。最終的に、他に選択肢がない、そういう状況に物事が収斂されていくのである。ここでは、如何に合理的に、つまり最小の面積でワンルームを機能的に作るか、という試行錯誤を経た結果、暮らす人の尊厳を脅かすような間取りに落ち着いたのであろう。その中で、市井の良心的な人々も、感覚が麻痺してしまっているか、あるいは、ここでその流れに抗うほどの余分な労力やお金を費やす余裕はない、と自分を納得させる他ないのだろう。大いなる妥協である。

ただ、僕にはその妥協は許容できるものではないので、自ずとオルタナティブをあたることになる。たとえば、僕の勤めている企業では家賃手当が出ることになっている。そして、交通費が支給されない規定の範囲である3km以内という条件も付いている。つまり、職場から3km圏内で、予算に収まる物件(実際には、高松市では手当内で十分選択肢がある)というのがベースラインとなる。加えて、先に書いた通り眺めが良く、できるだけ広いものが好ましい。そうなると、築年数の経った部屋であればいくつか候補が出てくるようになる。

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その中に、2LD+Kで、海に近い広い河口にバルコニーが面した物件を見つけた。築年数がずいぶん経っているようだが、ジャストで予算に収まる。Googleマップで地域を調べてみる。建物自体も、各住戸を雁行させ、中廊下にも光と風が入るように設計されており、なかなか味わいのある佇まいである。その中の部屋が数戸空いているようだった。川沿いで眺めと抜けは申し分なさそうで、海も見えそうだった。ただ、南西に面しており、西陽が強そうなのと、バルコニーが他より広く川も見える手すりになっている2階がベストな気がしたが、1階がピロティなので床が冷えるかもしれないことが気がかりであった。

企業が指定している不動産屋の担当者にコンタクトを取り、インターネット経由で調べたその気になった部屋の情報を送ってみた。入社2年目という若い担当者は、その日のうちに熱心に他にも候補を10ほど送ってくれた。彼の献身的な仕事ぶりに大いに感謝しつつも、その追加された候補物件はどれもこれまでに説明してきた僕にとってのNG物件ばかりだったことに苦笑した。僕は正直に「キッチン横を通って部屋に入る間取りはNGです」とか「なるべく広く、かつ、眺めが良い場所を探しています」という条件を付け加えたら「キッチン横を通らないとなると、かなり限られてきますね」と返してきた。それはそうだろう。

さらに、僕が一番気になっている、築41年の2LD+Kの物件について気になる部分の採寸を依頼した際、返事にはこう書いてあった。「やはり建物全体・室内・室内設備自体がかなり古めなものであるという印象でございます。例えば浴槽は昔ながらのステンレス製であったり、廊下もあまり日光が入らないような構造になっていたりということがございますので、何卒動画やお写真にてご確認をお願いいたします」まるで「本当に他にも新しい物件がいろいろあるのにここにされるおつもりですか?」と言いたそうではないか。なるほど、そうなのか、君の年齢ではこれは逆にNG物件なのかもしれないね、と思った。

担当者は親切にも動画を撮影してくれたので、インターネット経由でも大体の部屋の様子は掴むことができた。部屋を借りるのは20年ぶりだったが、インターネットのおかげで随分と事前に詳細がわかるようになっていることは驚きだった。それでも、空気感や、街の雰囲気、やはり実際に暮らすとなると、一度訪れてみないと、と思い、日帰りで部屋の内見に行った。担当者は、僕が部屋を見てふむふむと自分の暮らしを想像しながらチェックするのをただ黒子のように控えて黙って見ていた。結局僕は2階の部屋に決めた。それでも最後に駅まで送ってくれる車の中で「やはり古いとは思いますが大丈夫ですか?」と聞いてきたのだった。

僕は、若い彼に、ピカピカのビニールでくるまれた小さなワンルームより、古びてはいるが2LD+Kで川に面してバルコニーから海が見え、浴室やキッチンにも換気のための窓があり、フローリングも複合とはいえ本物の木だし、何よりも適正な間取りであることが如何に大事なことかを少し雄弁に語ってみた。実際のところ、そのアパートメントはもともと分譲のようだった。基本がしっかりしているのはそのためだろう。しかし、彼は「そうなんですね」と営業的な相槌を打つくらいで、僕の講釈にはあまり関心がないようだった。そうだろう、それくらいでないと不動産の営業はやって行けまい。良心的な心があれば、案内するのが嫌になるような部屋はいくらでもあるだろう。

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そんな経緯があって、3月の月末に広島からその部屋に越した。どのような家具の配置にするかは専門分野なのでいろいろシミュレートをしたものの、やはり現地でいろいろ調整しながら配置をアレンジした。一人暮らしをしながら、生活の実験をするつもりで暮らそうと思っている。基本的には、プラスチックな生活雑貨を買わない。あるものを工夫して普通の人が「必要」だとつい思ってしまうものを吟味する。知り合いは「ミニマリスト」ですね?というが、ミニマリストというよりは、暮らし方を見つめた結果、モノを必要としない生活に落ち着けばいいなと考えているところだ。

掃除機は使わず、箒と塵取りや、他の電気を使わない道具で掃除をする。冷蔵庫は小さなもので十分。最初は洗濯機も無しにしようかとも考えたが、特に冬は皮膚が弱く手が荒れるので止むなく小さな全自動のものを購入した。寝具は、寝袋を試してみることにした。当たり前(に思われている)暮らし方を見つめ直してみる実験。気持ちよさと労力とコストのバランスをどう考えるか、である。尚且つ、シンプルでありながら、機知に富んだもの。例えば、クロスの貼られていた収納の引き戸の裏面はラワンで仕上げられていた。もちろん、扉をひっくり返し、ラワンを表に出して戸を立て込み直したり、そういう些細なことだ。

それと、新人くんのグッドジョブに感謝するしかないのだが、もともと部屋に備え付けられた大きすぎる玄関収納と、雰囲気のないペンダント照明は他の空いている部屋に使ってくださいと申し出て撤去してもらった。さぞ変わった借主だと思われたことだろうが、これもひとつの資源の有効活用である。他の工夫としては、和室と洋室と、LDを隔てている4枚の引き戸は外して、全体を大きなワンルームとして使うことにした。引き戸は丁寧に補強と養生を加えて床に寝かせ、その上にそれぞれゴザとマットレスを敷いて、菊竹清訓の「スカイハウス」の「ばんだい」や、清家清の「私の家」の移動畳のようなプラットフォームに仕立てた。何のことはない、ただ建具を寝かせて台に転用しただけのことなのである。

賃貸用にこれまでに何度か改装や美装が行われているらしく、洗面室の出入り口は、サイズのフィットしないアコーディオンのパネルドアが付けられていた。これは不細工なので、カバーするためにインド綿のファブリックを吊るした。中廊下に面したサッシュの外が暗いため、ここにもジュートのファブリックを吊るした。布屋でちょうどいい幅の生地をカットしてもらい、押しピンとクリップで留めただけである。ホームセンターで安物のカーテンを買うよりもはるかに安く仕上がる。逆に、バルコニー側は川に面しており、対岸も住宅がないために、誰からも見られる心配もないので、今のところカーテンはつけていない。夏には西陽対策で簾か葦簀が必要かもしれない。物干し受の金物がバルコニーの天井に取り付けられていたのだが、竿は買わず、綿ロープに小さな輪っかをいくつもこしらえて、それを渡して洗濯物を干せるようにした。

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そんなわけで、1週間かけて、新しい暮らしのベースを、自分にとって美しくかつ暮らしやすくチューニングを施しながら、やっと形になってきた感じがある。毎朝、川からの水の音と微かな潮の香りで目を覚ます。夕暮れは坂出方面の半島の山に陽が沈む。なかなか良いではないか。コーヒーを片手に好きな音楽を聴きながら、キッチンのシンク下の扉を開けた時、敷いていた紙に水が滴って色が変わった染みを発見した。シンクをよく見ると、黒ずんだ汚れだと思っていたものが、どうやら錆のようだった。ピンホールがあるのだろう、そこから水漏れがしているようだ。さて、新たな問題発生である。「古いですが大丈夫ですか?」新人君の心配はこんなところで命中したのだった。

Essentials / 日常

ここでは,日常の中で見つけることが出来るデザインのエッセンスや,モノやコトへの視点がそれぞれの感性によって語られます.また,UNDESIGNEDを読みながら楽しんでもらうための素敵な音楽のセレクションも一緒に.毎回,UNDESIGNEDのメンバーやゲストの寄稿でアトランダムに構成します.

Here, the essence of design that can be found in everyday life and the perspective on things are talked about by each sensibility. Plus, with a good music playlist for you. Each time, it is randomly provided by UNDESIGNED members and guest writers.

観察記録_20230913_広島市内

久しぶりに混んだ電車に乗り合わせた。ダイヤを調べすに駅に着くと電車がホームに滑り込んでくるところだった。改札を抜けてホームへの階段を降りていくと、ちょうど到着した電車から降りた多くの乗客が反対に上がってきたので行手が塞がれる。その波を抜けると、目の前の開いている先頭車両の前の扉から飛び乗った。

車内はすでに満員な感じで、特にドア付近は混雑していた。いつも、こんな時「みなさん、もう少し詰めてもらえませんかー」と喉元まで声が出かかる。そして「自己最適化」する現象、例えば、コーヒー豆をキャニスターに移すとき、一度満杯になったところで、コンコン、とカウンターで底を打つと、豆の配置がさらに最適化され、満杯だったキャニスターにさらに豆を入れることができるようになるとかそういう状況、を思い浮かべてしまう。

乗客は、駅に着くたびに、降りる人と乗る人が入れ替わりながら、車内のスペースの微妙な縄張り争いが静かに行われる。空間のセンサーに敏感で、自分のスペースを少し差し出し、全体の最適化を意識できる人もいれば、センサーが敏感か鈍感かに関わらず、周囲のことは構わず自分のスペースを守ろうとする人がいる。いくつか、そんな様子を観察していると、そのような争いとは無縁の、別の世界に佇む後ろ姿に気付いた。

彼は、絵に描いたようなサラリーマンの姿で、おそらく50代くらいだろう。先頭車両の一番前で、進行方向に体を向けたまま、一般の人たちの小競り合いを背中に感じているのかいないのか、我関せずという佇まいで、進行方向のフロントウィンドウの外を眺めている。いくつかの駅を過ぎ、車内が空いてきても、彼はその窓に張り付き、後ろの車両の空き具合を確認することもない。ひたすら、電車の進行方向を眺めている。電車に乗ると、必ず先頭車両の前方に陣取り、フロントウィンドウからまるで電車を運転しているかのようにその眺めを楽しむ、という電車マニアがいるということは知っていた。彼が、そのような仲間なのかどうかは分からないが、日常生活のちょっとした隙間に、自分の好きなことを楽しんでいる姿はどこか一服の清涼剤にも似て、車内の縄張り争いで微かに荒んだ心を整え、ああ、こんなことでHPを減らしてる場合じゃないんだよなぁ、と考えさせてくれる出来事だった。

Soundscape on your day off / 休日の音の風景

毎回,音楽好きの仲間に「今」聴きたい曲やアルバムをセレクトしてお勧めしてもらいます.
We also recommends nice music which is selected by DJs or people who are loving music so much.

5月にカリフォルニアに行った。コロナ明けの初めての海外。自分の中でしばらく身体の奥に沈み込んでいた何かが動き始める。タクシーのドライバーはコテコテのカリフォルニアソングを流してくれた。それが自分なりのこの旅のプレイリストをアップデートした。ローリングヒルズに咲き乱れたマスタードの花の黄色い輝きを写真におさめることができなかったことが悔やまれる。それもまた、再び訪れるためのモチベーションになるのだろう。

Team UNDESIGNED of this issue are...

Producer / Editor / Video Editor
Takashi Sasaki
大阪生まれ香川育ち.野球ばかりでデザインとは縁がなかったが,デザイン関連の取材を通して,その考え方やプロセスに惹かれたひとり.

Editor in chief  /
Michiaki Nishio 
広島生まれ.建築およびデザインと人間の接点から社会や未来を夢想するのが癖.普段は建築を軸にデザインの実践と教育に携わる.広島と香川の2拠点ライフ.

Regular editor / Editorial designer
Maiko Teramoto
広島生まれ.素敵なものが,なぜ素敵なのかを考えがち.もちろんデザインでも.古今東西全ての本と映画を見漁るのが叶わぬ夢.

Correspondents /
Madoka Kikkawa, Akane Mameda


Special thanks for this issue:
Supported by Anabuki Design College Hiroshima